6月5日 仙台市〜南相馬市〜名取市

2011年8月9日 18時19分 | カテゴリー: 活動報告

相馬市海水浴場
相馬市海水浴場
 妹宅から、仙台駅まで車で移動しました。仙台の繁華街は、ビルのタイルが剥がれ落ちたところもありましたが、震度7を経験した町とは思えず、日本の住宅の耐震性に改めて感心しました。歓楽街は「まるで七夕祭り?」と思うくらい人が多く活気がありました。

 宿泊するホテルの前では作業の帰りらしい長靴姿のボランティアの集団と一緒になりました。

 私たちを招待してくれた、シマ商会の島さん達と夕方合流し、食事をしながらお話を聞きました。シマ商会の本社は4月末に元の場所で事業を再開しました。そこは福島第1原発から20,5キロ。それまで会社の社員やその家族で新潟に避難し、避難先で事業を継続した様子は5月にテレビでも放映されています。丸1日半取材を受けたが、同時に放送予定の和菓子屋さんが製造機を20キロ圏内の元の会社に取りにいく様子にインパクトがあり、自分の会社の放映時間が短くなったと悔しがっていました。
 
 新潟に社員とその家族で避難する時はガソリンが買えず、シマ商会は中古車を買い取り部品ごとに分解して海外に販売する事業も手掛けているので、買い取った車の燃料を抜き取って移動に使ったそうです。

 震災当日、津波は門のそばまで打ちよせてきたが会社の建物までは来なかった。しかし会社から離れた別の作業場で仕事をしていた社員一人は、地震のあと何の情報も無く、会社に戻ろうとした時に津波に巻き込まれ亡くなったことも聞きました。

 翌朝、仙台を車で出発し、荒浜の海岸を見て、多賀城(たがじょう)市を経由し仙台港に向かいました。仙台港・・(仙台の中心部からほぼ真南)は輸出入の倉庫が立ち並んでいるが外観は保っているものの津波で中が空洞になっている。どこも道だけはがれきが撤去されていますが、所々に木くずの山、鉄くずの山と分別されたがれきの置き場がありました。

 道路わきに車が放置されており、持ち主に向けてなのか「買取します」という札が貼ってありました。島さんは 仙台港に輸出を待つ中古車などの置場を持っていたがその車も津波で流されてしまったということでした。

 ゆりあげの近くで下車、広大な平野に田んぼか畑があったと思われる所です。部分的に水が引かず田植え前の水田のようになっている。そのなかに車やテトラポット、かって防風林であった根がついたままの木が散乱していました。一角に回収した車の集積所がありました。

 常磐線の新地駅に立ち寄りました。もともと無人駅であったが駅自体もないのです。線路のあったはずのところも、すでに線路はなく、花壇か池の名残か、黄アヤメが咲いていました。相馬市、南相馬に向かう途中火力発電所を2回見ました。2つとも停止中で「みんなの力で運転再開を」のような言葉の立て看板がありました。

 相馬野馬追い(相馬のまおい)会場に立ち寄りました。広大な緑のグラウンドにひな壇状に丸太で土止めをした観客席があります。野馬追いは鎌倉時代に行われていた野生の馬を使った軍事訓練だそうです。甲冑姿で旗取りなど地区ごとに競い合うらしく、この壮大な伝統行事を一度は直接見たいものだと思いました。

 海水浴場にも行きました。防波堤が切れ、海岸通りの道はトンネル寸断されている、広い砂浜、だったところは海の一部になっていたそうです。海の家の一部かコンクリートのたてものが傾いていました。

 近くに高台があり展望台や遊歩道があったらしい場所も寸断されていました。

 南相馬市に入り、最終地点、シマ商会の本社・工場「ゆめ工場」に着きました。事務所は研修で学んだという「社内整備」が隅々まで行き届き、事務所の机の上から掃除道具置き場に至るまできちんと整頓されていました。

 掲示物もわかりやすく美しい。仕事の能率とやる気が倍増する「気」が満ちているではありませんか。町田ネットの事務所もこうでなくては、おっとその前に我が家の整理整頓が先か!と思いながらじっくり見せてもらいました。ここは福島第1原発から20、5キロ。500メートル先には敷地の半分がかかって営業を再開できなかった、ある化学工場がありました。化学工場が稼働しないために影響を被っている産業がいくつもあるのでしょうね。

 海岸沿いから山を越えて福島駅へ向かいました。途中、飯館村も通過しました。洗濯物が外に干してある家を何軒も見かけ,ここに頑張って暮らしている人がいると実感しました。

 案内してくれた島さんが私たちに伝えたかった事、実際に目にした事は忘れないからね。