戦没者追悼式で、戦死した祖父を思う

2011年10月28日 12時15分 | カテゴリー: 活動報告

町田市の戦没者追悼式に出席

今年も町田市民ホールで行われた追悼式に参加させていただきました。
遺族会の方の追悼の言葉を聞いているうち、普段はすっかり忘れているのに、島根県の母方の祖父の事を急に思い出しました。南の島へ移動途中、祖父を乗せた輸送船は昭和19年9月19日、爆撃により台湾とフィリピンの間のバシー海峡に沈んだのです。召集されたのは7月25日ということなので、それから2カ月もたたないうちの戦死でした。

母の末の妹はその時はまだ祖母のお腹の中にいました。召集の時には、生まれた子が男だったら、女だったら、と2通りの名前を祖母に伝えて旅立ったそうです。祖父の最後がどのような状況だったのか、想像するのも恐ろしいのですが、どんなにか無念だったろうと思います。

6人の子どもを残して、まだ30代でした。母は、「たとえ無事に南の島に辿り着いても食糧の供給を断たれた中では餓死するしかなかったろうし、かえって海に沈んで良かったのかもしれない」と言います。戦死の知らせが届いたのは昭和21年でした。

これらの日付が母の口からすらすらと出てきたのには驚きましたが、母もまた無念で戦後66年間この日付を反芻しながら暮らしてきたのだろうと思いました。

遺族会の方たちが献花される様子に、母と亡き祖母の姿が重なり、写真でしか知らない祖父の顔が浮かんできました。