知覧で特攻隊の足跡をたどる

2013年1月29日 18時01分 | カテゴリー: 活動報告

2013年1月24日~25日  

某ザメディアジョン、という会社が行っている企業の経営者、社員向けの研修企画にか「知覧研修」があり、関係者に好評を得ているそうです。その研修ツアーに混ぜてもらい鹿児島県南九州市の知覧に行ってきました。

「ほたる資料館」 当時の食堂の姿を復元

 知覧が特攻隊の基地であり、記念館があることは知っていました。そして一度は行った方がいいとも言われていました。やっとその機会に恵まれたのです。

関西から関東に住む、リフォーム屋さん、ポップコーン屋さん、パチンコ屋さん、様々な職種、性別、年齢のメンバーが鹿児島駅に集合しバスで知覧へ向かいました。宿泊場所は富屋旅館です。知覧には昭和16年末陸軍飛行学校の文教所が開校し、その後沖縄へのアメリカ軍上陸を阻むための特攻基地としての役割を担うことになりました。のちに特攻の母といわれた鳥浜トメさんが営んでいた富屋食堂が陸軍の指定食堂となりました。戦後、旅館に変わり、本館には食堂の離れとして特攻隊の人が実際に飲食していた座敷も残っています。

資料館の隣に宿泊 夕食は当時を偲んで

 

 

 

 

 

 

その座敷で1日目は、夕食の後(当時を偲ぶすいとんもメニューにあり)戦争末期に特攻隊を編成することになった経緯を勉強し、俳優『たぬき』さんの一人芝居を観ました。たぬきさんは、鳥浜トメさんから聞いた特攻隊員のエピソードをもとに、トメさんを演じるのですが、まるでトメさん自身が語っているような臨場感がありました。

翌朝は6時半に集合して、まだ暗いうちに旅館の3代目のおかみ、鳥浜初代さんの案内で特攻隊に任命された隊員が前日を過ごす三角兵舎跡へ向かいました。山の中に半地下のような形で作られ、空爆を避けるために、木の枝で屋根を覆っていたと聞きました。そして未明のうちに徒歩で滑走路へ向かい、飛行機に乗り込んだ特攻隊員を地元の人が見送った場所にも行きました。高倉健さん主演の映画『ほたる』のロケ地にもなったことがあり、記念碑があります。

「ここから滑走し、あの信号のあたりで飛び立って行き旋回して沖縄に向かい、二度と戻らなかったのですよ。」おかみさんはそう説明しながら、「私の思想は右でも左でもない。私たちに特攻隊員が後世の私たちに残したかったこと言いたかったことは何かを考えて欲しい」と何度も語るのでした。

その後知覧平和公園に移動し復元された三角兵舎を見た後、神社に参拝し旅館に戻り朝食となりました。

おにぎり、めざし、蒸したサツマイモ、味噌汁、それとお替り自由の卵かけごはんもあるのですが、素材がいいのか、朝から動き回った後の食事だったからか、何もかもがおいしく感じた朝ごはんでした。朝食後はおかみの初代さんの講話ののち、映画『俺はきみのためにこそ死にに行く』のダイジェスト版DVDを鑑賞し、旅館の隣に富屋食堂が再現された建物「ホタル記念館」で展示を見ました。トメさんの印象に残る隊員の写真と遺書などが展示されていました。朝訪れた平和公園の中にある知覧特攻平和会館が最後の見学場所でした。第1次~第○次、と出撃順にコーナーに別れていて、隊員の写真と遺書が展示されています。特攻隊として散っていったのは17歳から20代後半の1036人、そのうち335名がまだ訓練途中の方も含む少年飛行兵でした。いくつかある基地の中で知覧から飛び立ったのは439人ということでした。

写真で確認しながら家族への感謝、自由な世の中へのあこがれを表現し、しかも素晴らしく達筆な遺書をできるだけたくさん読もうとしましたが、滞在時間では読み切れなく残念でした。

戦争がもっと早く終結していれば私の息子たちのような若い命が無駄に失われることがなかったのにと考え、歴史に学ぶことが本当に大事なことだと改めて思いましたが、歴史の教科書でさえ解釈・表現が様々で、何を指針にしていいか迷います。でも特攻隊の皆さんが死と向き合って紡ぎだした言葉は、現実そのままの歴史の証拠です。いつになるかわからないけど、また知覧に遺書を読みに行きたいなあ。  知覧に行きましょう。