萩市から出雲市へ 松陰の妹と私の祖母

2015年8月5日 12時23分 | カテゴリー: 活動報告

 実家に帰った後足を延ばして、亡くなってからお墓参りをしていなかった祖母のお墓に立ち寄りました。

 故郷の萩市では、大河ドラマ『花燃ゆ』の舞台で、今しかない、とばかりにキャンペーンが行われています。私の母校明倫小学校は、萩藩の藩校の建物でした。小学校の機能はお隣の、元萩商業高校の敷地に移り、建物で史跡として残され、体育館は大河ドラマ館になり、運動場は駐車場となっていました。俳優さんたちの、等身大の写真が目立ち、テレビを見てねー、というメッセージにあふれておりました。

 文という女性は松陰神社の敷地にある『吉田松陰歴史館』に家族と共にちょっと怖いロウ人形として展示されていて、ああ妹がいたんだ、という認識しかなかったのですが、こんな人生を生きた人がいたのだ、と新たな歴史を知らせてくれた某テレビ局には感謝しています。

 萩を離れ、山陰線に乗り、出雲市駅をめざしました。この間三時間、北陸新幹線開業、リニア中央新幹線も開業かという華々しいニュースの裏で、私が萩市を離れていた40年の間に、東萩駅は特急が止まらない駅となっていました。

 各駅停車で1時間かけて島根県の益田駅まで行き、そこで快速に乗り換えて二時間かけて出雲市駅までたどりつくというわけです。山陰線という字の通り、いかにも日陰者扱いではないか、と憤慨しつつ、美しい海岸線を愛でながらの出雲市への旅でした。

 

さて出雲市からタクシーを飛ばして、大池という地区のある母方の祖母のお墓に向かいました。子どもの頃、祖母の後をついて竹ぼうきを背負って歩いた墓地へ向かう山道はアスファルトの道路に変わっていました。祖母は平成2年に93歳で亡くなりました。最初の夫が結核で病死したあと、一回りも年下の夫の弟つまり私の母の父と再婚して家を守ってきましたが、先の戦争で祖父は戦死、輸送船の墓場と言われたバシー海峡は祖父の墓場となりました。祖母が6番目の子どもを産んだときはすでに祖父は亡くなっていたのです。でもその時の祖母の年齢はどう計算しても47歳。敬服するしかありません。

吉田松陰の妹、文は15歳で久坂玄随と結婚、死別後、姉の夫と41歳で再婚、この数奇な運命と、祖母を重ねてしまったのは大河ドラマ館を見たからでしょう。

墓地からも、空き家になった母の実家からも日本海が見えます。この海の先には祖父が眠っているのだなと思いました。戦後70年と盛んに報道されています。これからの人たちが悲しい思いをするのは70年前で終わりにしたいと思います。でも沖縄はずっと続いているのですよね。