被爆2世かもしれない私

ミズヒキ  野津田公園

今日は広島に原爆が投下された日です。駅に向かう途中で町田市の防災無線放送で黙とうの呼びかけがありましが、今日は時間に押されて、申し訳ない、と思いながら、立ち止まりませんでした。

私の父は終戦直前に徴兵され(父によれば、身長が低く近視だったから、なかなかお呼びがかからなかった、とのこと)結局戦争に駆り出されることなく部隊は解散となったらしいのですが、原爆投下の後に広島に行ったので、自分は被爆しているけど、被爆者健康手帳を貰うための証明ができないと言っていました。

当時父は20歳、その12年後に私は生まれています。父は86歳で亡くなりましたが、そこそこの健康に恵まれ、天寿を全うしたと言ってよいでしょう。

先日、黒い雨を浴びたのに国の被爆者健康手帳の対象区域外として申請を却下したのは違法だという訴訟に、救済判決が出されました。75年経って、なお原爆の影響に苦しむ人がいる事を知り、父の幸運は別の誰かが苦しみを引き受けてくれたことによって与えられたものでは、と思えてきました。

8月6日が来るたびに、いつも自分は被爆してる、という父の言葉を思いだします。